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視線のビブリオテカ

輸血の快楽

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マッドマックス 怒りのデスロートのインパクトはない。しかし自分の体内はカタストロフ。

# by koh-saka | 2020-02-28 17:56

海へ

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迷子になって見つけた太平洋は心を荒ませた。

北海道の東、道東の海沿いは昏い夏と明るい冬を併せ持つ日本では特異な地域である。
雪は極端に少なく、冬もスニーカーで歩くことができる。
新品のスタッドレスタイヤで惜しみなくドライな路面を走り続けているとエミリー・ブロンテの「嵐が丘」を想起する風景に出会った。
「嵐が丘」の風景に海はないのだが。

かつて波によって浸食された地形はなだらか丘に突然窪地を生み出して単調な景色にリズムを生み出す、長靴のリズムを。

生まれた町、育った街は離れて時間が立ち過ぎて、知らない街となった。
知らない道、知らない建物を過ぎ去って変わらない地形と出会って郷愁という残酷な思いに心が至った。

# by koh-saka | 2017-07-11 20:33

謎の夜

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恐らく冬であろう、宇都宮であったか、新宿であったか、札幌であったか、はたまた帯広の可能性も捨てがたい。
夜であれば歩いて写真が撮れる程度の軽い酩酊の最中であろう。
構えているカメラは一眼にしては小さく見えることから、スマホかコンデジであろうか。
そこはロビーなのか個室なのか、ロビーであれば後ろに写る女性と思しき影は偶然だろうが、個室であれば誰なのであろうか。
日付を確認すればよいことなのだが、画像を見ながら思い出すというよりは、画像を読み解いていく楽しさに耽っている。

モノクロにHDRのぎらつき、HDRは悪趣味な癖になる。
風景の本質を逆なでするのだが、私には現実が実はかように見えていることを表現するためは必要な加工なのである。
写真なんてものは嘘しかつかない。

体内の嫌なものがガラスに映りこむ、変態的思想も、悪魔的詩情も、快楽的哲学もガラスは正確に受け止めて反映する。
そして非情にも足元を消し去って現実を提示するのだ。
信じているから足元を掬われるのだ。

足元のない自分の影を見ていると、無性に逃避したくなる。

# by koh-saka | 2017-07-11 17:20

音 インスタレーション

東京都庭園美術館『クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス・ささやきの森』

チリのアタカマ砂漠、香川県の豊島で製作された、無数の風鈴のようなものが音を奏でる、いつか朽ちていくであろうインスタレーションのビデオ作品という知識のみで美術館に入り違和感を覚えた。
男女が囁き合う声が絶えず聞こえてくるのである。
意味ありげなのだが耳を澄ませても何を話しているのかが聞き取れない、館内を歩くうちにそれがスピーカーから流されていることに気づいたのだが、聞き取れない会話にもどかしさを覚えながら、別館に移動してその会話が途絶えた場においても、頭の中では通奏低音のようにその会話が流れ続けた。

五つほどのブースに作品が展示されているのだが、赤い光の明滅と心臓音であったり、「アニミタス・ささやきの森」の風鈴のような音であったり印象的な音が先ほどの会話と濁ることなく混じり合う。
見終えてパンフレットを見て、会話が「さざめく亡霊たち」という作品と知った。
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東京都現代美術館 常設展示

音のインスタレーションで想起するのは、東京都現代美術館に常設展示された、大友良英氏、青山泰知氏、伊藤隆之氏の「without records-mot ver.2015」である。
無数のスピーカー付ターンテーブルがレコードではなくプラスチックや鉄などでレコード針を弾かせて音を発するのだが、各ターンテーブルはコンピュータで制御され心地よいノイズを静かに響かせていた。
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ワタリウム美術館「ナムジュン・パイク展 2010年笑っているのは誰 ?+?=??」

ビデオインスタレーションであるから館内は音に溢れている。
複数のブラウン管テレビにはヨーゼフ・ボイス、ジョン・ケージ、ジョージ・マチューナス他当時のアーティストのパフォーマンス、インタビュー、或いは当時の風景などがビデオの劣化のまま映し出され、ビデオ万華鏡の様相である。
1980年代パイクの作品はテレビで放映されたり、実験映像展で見たり、当人にお会いしたり重層的に触れることが多かっただけに、懐かしさや気恥ずかしさを覚えつつの鑑賞であった。
# by koh-saka | 2017-01-28 12:08

原美術館『快楽の館』

当初、篠山紀信氏の写真展を見に行く程度の気持ちで向かったのだが、美術館に入り思いは一変した。
美術館内で撮影されたヌード写真が等身大よりも大きく引き伸ばされ、額装もなく撮影した場所に貼られている。
最初に目に入る写真には意図して受け付けカウンターも、受付担当の方も映り込み、現実と写真の入れ子細工に観覧者は引き込まれることになる。
これは写真展ではなく、美術館全体を使ったインスタレーションであることに気付く。

ヌード写真に淫靡さはない。
明るさも、健全さも、荒んだ気配もない、全ての気配が周到に除去されて、アンドロイドのような女性のヌード写真群である。
その中に一枚だけ男性ヌードがある、余りに生々しく思わず目をそらした。

昭和13年に竣工されたという、かつて私邸であった原美術館はその佇まいが魅力的で、広さもまた適度であり、「快楽の館」と銘打たれた本展の館の意味合いが深く印象付けられた。

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# by koh-saka | 2017-01-26 19:36